黒田官兵衛と云えば「兵法書」の達人。
その中でも孫子は「戦いにおけるバイブル」といった方が良いでしょう。「孫子の兵法書」を最も上手に扱った日本人と考えても良いのかもしれません。
「孫子」とは、およそ2500年前に書かれただろう、、、実際は誰の著書かは定かではないと言われています。
孫武、これは孫という家の武さんが編み出した戦争戦術書です。

「孫子」ほど著者によって解説に差が出る読み物を少ないでしょう。その理由は、「孫子の兵法書」は順番に書かれていないからです。誰でもがわかるように書いてしまっては、本の完成と同時に孫武は殺されていました。身を守ること、孫武が必ず必要になることを狙ってわざと内容を前後させるシャッフル状態で収められています。よって、現代語訳もその著者の実力によって内容がものすごく変わって語られることになるのです。おもしろい!
その辺りも踏まえて、黒田官兵衛がどのように生き、「孫子の兵法書」を活用したのか楽しみにドラマを見てみましょう!
軍師官兵衛 第一回「生き残りの掟」あらすじ
黒田官兵衛の幼名は「万吉」と呼ばれていました。
面白い話が大好きであり、よく稽古を抜け出す子供でした。
黒田家は、広峰明神と関係が深いものでした。
広峰明神では、五穀豊穣のお札を全国に販売するネットワークとして「御師(おし)」と呼ばれる人たちがいました。
官兵衛の祖父である黒田重隆が、黒田家に代々伝わる目薬を御子たちに札と一緒に販売することを勧めたことから黒田家の繁栄は始まったのでした。
その御師のいる村に万吉は度々遊びに出かけていました。
狙いは、御師である伊吹善右衛門の全国を回った土産話でした。
そして、面白い話を聞いていると夢中になりすぎて「お漏らし」を話を聞いたまましてしまう変わった子供だったのでした。
履き物がおしっこで濡れようがお構いなしでした。
それで、それでと続きが知りたくて尋ね続ける始末でした。
万吉の父である小寺職隆(もとたか)は、元は黒田性立ったが、主君の幼女を娶ったことから「小寺」性を名乗ることを許されていました。
職隆は、こき使われようとも決して主君である小寺の陰口を言わない、むしろ取り立ててくれた恩義を大切にするような男でした。
ちょうど同じ頃に尾張では一人の新しい巨星が世に出ようとしていました。
その名は織田信長でした。
織田信長も又、木下藤吉郎と出会い草履取りへ入れてやるのでした。
話を姫路に戻すと、職隆は野武士の村荒らしに頭を悩ませていました。
小寺の家臣からはいつまでもあらす野武士に対して職隆の対応が甘いと揶揄されるのでした。
父の複雑な立場を知る由もない万吉でした。
勉強が嫌い、という訳でもなく楽しい話を聞きたくて祖父の黒田重隆や善右衛門のそばに居たかったのでした。
薬草の話から今回は「龍野(敵対関係にある赤松家の領地)の近くにある龍神池の辺りには良い薬草が育っている。この周辺はなかなかないんだよ。」といった情報を仕入れるのでした。
いろいろと世の動向は混沌としていました。
ある日、赤松家から小寺職隆のもとへ使者円満がやってきました。
引き抜きですね。
しかし、職隆はキッパリと断りを入れるのでした。
好奇心旺盛で後継として不安を抱かせる万吉でした。
職隆は厳しく接して、万吉の成長を即しました。
そんな二人を支える母いわでしたが、病に倒れてしまいました。
心配した万吉は、いてもたってもいられずに先日耳にした龍神池を目指して母のために薬草を取りに城を抜け出してしまうのでした。
敵の領地に入ったことで、捕獲されてしまいました。
幸い、父職隆の才により赤松の殿様である赤松政秀との交渉は難を交わすことができました。
母として、万吉の行動は嬉しかったはず。
しかし、母いわは、万吉に「軽はずみな行動」として強く叱るのでした。
多くの人の命を危険に晒したことをいわは万吉に諭したのでした。
己の振る舞い次第で人の命が失われる、そういう立場であることを強く自覚して欲しかったのでしょう、いわは武家の嫡男としての自覚を持つことを万吉に願ったのでした。
最後に「真っ直ぐに生きるのです。見守っていますよ。」
いわの万吉への最後の言葉となりました。
領主の小寺は、職隆との縁が薄れることを恐れました。
小寺の収める領地内で野武士による村々への襲撃が繰り返されていたのでした。
襲撃現場で万吉は偶然にも野武士を裏で操っている人物を目撃します。
そして、機を見て職隆に進言するのでした。
職隆は、この万吉の進言により大きな災いを防ぐことができました。
職隆は、万吉の進言するタイミングと配慮を尋ね、その考え方に父として息子の未来に光を感じるのでした。
そして万吉は、父職隆らから「生き抜く術」を実生活の中で学んでいくのでした。
1560年、尾張の熱田神宮では、織田信長が今川義元を狙って決起しました。
豪雨により近づく足音はかき消され、油断して休息していた今川勢はあっという間に信長に打ち取られたのでした。
「桶狭間の戦い」でした。
1561年、万吉16歳で元服しました。
その名は、黒田官兵衛孝高(よしたか)。
軍師官兵衛 第一回「生き残りの掟」感想
万吉は、孫子だけではなく「武経七書」に明るかったことから、その聡明度がわかるところです。
万吉には、物事の本質を見抜く感性があったのでしょう。
そして、何かを実行に移す際には指針となる「中国古典」があり、プロセスは無限大に広げられたのではないでしょうか。
また、幼少期より「自分はこうなんだ。」という発信型ではなく、「人はこう考えるだろう。」と受け取りての思考を先回りして考える力も持ち合わせていた、簡単に云えば「できる子供」だったと感じました。
軍師官兵衛の父 黒田職隆の柴田恭兵さん
いいですね〜、やっぱり柴田恭兵さん。
ゴツゴツの武闘派や剛腕感ではなく、しなやかで繊細、しかし決して屈しない強さです。
「竹」のような。
厳しい戦国の世に、生き残るには特大に突き出た「剛」か、職隆のような強い流れに抗うことなく、それでいて芯はしっかりしている武将タイプだったのでしょう。


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2014年大河ドラマ 軍師官兵衛 キャスト
主要キャスト
配役 | |
黒田(小寺)官兵衛 | 岡田 准一 |
豊臣秀吉(藤吉郎) | 竹中 直人 |
小寺 政職 | 片岡 鶴太郎 |
黒田 重隆 | 竜 雷太 |
織田 信長 | 江口 洋介 |
円満 | 麿 赤見 |
いわ(官兵衛の生みの母) | 戸田 菜穂 |
伊吹善右衛門 | 尾藤 イサオ |
母里 小兵衛 | 塩見 三省 |
黒田(小寺)職隆 | 柴田恭兵 |
制作キャスト
作 | 前川 洋一 |
音楽 | 菅野 祐悟 |
テーマ音楽演奏 | NHK交響楽団 |
語り | 藤村 志保 |
演出 |

面白さが伝わるように「あらすじ」を書いています。しかし、やっぱり素晴らしい役者さんたちが集結しているのでドラマを見ましょう!本当に学びが多い「軍師官兵衛」です!
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